ホロカトマムの歴史

ホロカトマムは砂金がとれたところで有名な場所です。

1909年(明治42年) 植民広報に写真付きで、「札幌区 加納長五郎他三名により、鵡川上流ホロカトマム川より砂金塊が産出せる」 と掲載されたのが、最初に記録されたホロカトマムの砂金発見です。それ以前よりホロカトマムで砂金を掘っていた人々がいると言われており、その後大正(1912-26年)の間にも砂金発見の報告が続いていたそうです。

1932年(昭和7年) ホロカトマムの砂金鉱区は札幌の生駒組より京都の小島勇之助へ売却されました。小島勇之助はそれから約5年間採掘しており、事業が全く終わったのは1939年(昭和14年)であったといいます。主として一の沢と二の沢に集中して、常時二十人ぐらいの人夫がいて作業にあたっていたということです。ホロカトマムが余りに有名なのでその他の地域支流の砂金についてはあまり記録が残っていません。小島のあと1939年以降、砂金堀は個々人により細々と続けられていたようですが1940年後半から1950年代には下火になりました。

ホロカトマムの長老であり、また小島勇之助と働いていた太田栄五郎によると、ホロカの沢には片側にしか砂金がない、上流に向かって左ばかりだといったという面白い話があります。また近隣下トマムでは一線沢から上流では砂金のとれた話がないのだそうです。太田栄五郎は明治時代(1912年以前)より砂金の産地としてのホロカ(一の沢付近)あたりに居たようで1950年から1960年あたりまではホロカに入地していたようです。

この地域には現在は誰も住んでいません。私達の見た限りでは、廃屋の跡地さえも見つけられない状況です。察するに家屋は全て木造だったのでしょう。

出典:占冠村史(1963) 、占冠村百年史 (2006)

 

MMH/SCH, Hokkaido 10 May 2010