占冠村と外国人
記録に残るもので最初に占冠村を訪れた外国人は Captain Malcolm Duncan Kennedy (1895-1984) だったようです。彼はイギリスの陸軍に属する言語士官を務めており、日本には1917 から1920まで滞在していたようです。後にロイター通信の記者、そしてついにはイギリス情報局秘密情報部(軍事情報第6課)のメンバーだったというのだから驚きです。彼は1920年の8月に北海道にやってきたようです。まず、北海道南から汽車で佐瑠太 (さるふと:現在の富川)に着き、馬車で平取(びらとり)へ、そして沙流川の岩知志(いわちし)まで来たようです。
1920年8月13日(金)朝7.30分出発。二頭のポニーを借りた。一頭は自分のために、そしてもう一頭は私の荷物とガイドのために。私のガイドは荷物の上にやっとこさ腰掛けていて、昨日の私もこんな様子だったのだと思う。. . . . 激しい雨が降っている。午前中今にも降り出しそうだったのだが、10時に降り始め、私たちをとても楽しい気分にさせてくれるじゃないか...。しかも、森の中では熊たちがうろうろしているという、雨が降るとなおさらこそこそうろつくんじゃないか。こんなことになるなんて、多分、と私は思う。今日がたまたま13日の金曜日だからに違いない。 アブがポニーをいらいらさせている。
時折、森が開けて半ダースくらいの民家の集まった部落に出会う。大抵はとても住めるような家ではなく、一目見ただけで大変そうな生活が忍ばれる。住民は私たちを見るととても驚き、何のためにここに来たのかと問う。ただの旅行なんだと説明すると目をむいた。今まで一度もここで白人を見たことがないと言っていた。私のほうこそ、こんなにたくさんの移住者が本州の大阪とか南日本からやってきたことに驚いていた。ここにたどり着くのに1週間はかかるだろうし、何しろ、本州とは気候が全く違うのだから。 住民の多くは、金稼ぎに来ているんだと説明してくれたが、実はそんなうまい話はなく、何とか元住んでいた地に帰れるように日銭を稼ぐことが精一杯なんだと言うのだった。長くて寒い冬がとても辛いと言う。 冬靴やソリがなければ11月から3月までは動けない。その間はずっと深い雪にとざされてしまう。 移住者の家はまるで干し草の山のように見えた。家の中も粗末なのだろう。
このあたりの田舎の景色は美しい。山々は立派な木々で覆われ、断崖絶壁も壮大だ。見渡せばどこにでも小さな小川が流れている。それでも人が住むには寂しすぎるだろう。周りから全く閉ざされた世界だ。中でも最も目につくのは木に打ち付けられた「山火事注意」の看板だった。彼らにとっての一番の心配は寂しさではなく山火事なのかもしれないけれども。
右左府村(うさっぷ)に昼頃到着する。駅逓で昼食。ここで岩知志からのガイドに報酬を払い、他の占冠村まで詳しいガイドを雇う。ここからポニーは手に入らないということなので歩いて行かなくてはならなくなる。ガイドが私のスーツケースを運び、その他の荷物を自分で運ぶことにする。 1.15分出発。すぐに密林のような深い森の中になり人の気配は全くない。 道のようなものを越え、反対側の山の斜面を下ると3.30分頃、小さな部落がぽつりとあっただけであった。
野上(のじょう)村に午後6時に到着。そこから1時間で占冠村に着いた。占冠村は木々の生い茂る山々にぐるりと囲まれている。ほっとした。ここまで一日でポニーで6里(1里=4km)歩いて6里。一日で30マイルは移動したことになる。4000フィートは越えるふたつの山脈を越え、道を切り開くながら進まなくてはいけないところもあったので、大変だった。
このあたりにいる熊の数を考えれば、夜は出歩けない。昼間であっても、誰か一緒にいてくれないと非常に心細く感じるものだった。あれだけ深い密林のようなジャングルの中では、熊が1ヤード近くまで来ないと分からなかったかもしれない。森は巨大で、なぜか神秘的な、異様な静けさを含んでいる。生きているものの気配は全くなく、時折とても美しい蝶を見たり、たまに蛇がガサガサと音をたてたり、どこにでもいるアブが飛んでいるくらいであった。
1920年8月14日 馬車が金山に行くとききつけたので、それに私の荷物を預けたのが朝5時。自分たちは6時に出発した。いわゆる馬車道が金山までずっと続いていると言われたけれど、実際はただ単に泥の海で、その途中の二カ所でかかっていた橋も雨で流されていた。 二カ所目の壊れた橋のかかる川はどうみても歩いて渡ることができなさそうだった。 浅瀬を探した。この道が山道と交差していて標高が約3000フィート。金山の2里手前である。 山道はほとんどが深い森の中であるが、どうも熊はいないという噂らしい。このあたりの大きな木々のジャングルに違わず、巨大なリュバーブのような植物まであるのだ。 7-8フィート高にも達する3フィートはあろうかという葉が2.3枚はついていた。金山には11.30分に到着。足が痛くなっていたので、汽車のレールを再び見たときには嬉しかった。この田舎横断の旅は全部で76マイルに及んだ。
注: ケネディーの言う密林=ジャングルという表現は笹のことを指しているのだろうか。とても美しい蝶と書いているがミヤマカラスアゲハが含まれているだろうと思われる。巨大リュバーブは間違いなくワランブキのことだろう。
アルファ(スキー)リゾートトマムの建設は1980年代に行われ、このリゾート開発により占冠村は有名になりました。 占冠村はアスペンコロラド姉妹都市プログラムの一員に選ばれ、このプログラムの中には世界的に有名なリゾート地、シャモニー(Chamonix)、ダボス (Davos)、 ガルミッシュ=パルテンキルヒェン (Garmisch-Partenkirchen)、Canfranc (Spain)、クイーンズタウン (Queenstown, New Zealand) などや、San Carlos de Bariloche (Argentina) なども含まれています。
アスペンを代表する写真家 Nicholas DeVore III (1949-2003) は占冠村の撮影を依頼され、本を出版していますのでご参照ください:Village Japan: The Four Seasons of Shimukappu, Weatherhill 1993年出版
2008年、イギリス人(東京在住)である Klein Dytham architecture (KDa) がアルファトマムのふたつのタワーをカモフラージュしたデザインで色彩をやり直したものが話題をさらいました。これは World Architecture Festival 2009にて選抜されております。
参照:
The Diaries of Captain Malcolm Duncan Kennedy, 1917-1946, Sheffield University Library
DeVore III, Nicholas (1993): Japan: The Four Seasons of Shimukappu, Weatherhill, New York and Tokyo ISBN 0-8348-0312-7
World Buildings Directory Online Database: Alpha Tomamu Towers
MMH/SCH, Hokkaido August 2010